老人とわんこ

認知症の親父と犬との日々

介護における苦しみを考えてみました。その2

認知症父親と住んで、私にとって、辛かったのは感情的な問題でした。

ほとんどの介護者もそうだと思います。

説明しても解ってもらえない、止めても聞かない、疑われる、罵倒される‥。

いろんな本を読んだり、インターネットで認知症の理解と対応方法を仕入れましたが、腹が立つのはどうしようもありません。

そんな毎日の中で身に付けたワザは、「忘れる」でした。

全く忘れてしまう事は無理ですが、自分の機嫌を直すことに専念し、思いを引きずらないようにしました。

と言っても、ほとんどは意識的にやった訳ではなく、イライラの気分のまま掃除や料理を始めたり、犬と散歩すると、自然に目の前の事に没頭しています。風呂場や台所がピカピカになり、大量の野菜のみじん切りが出来て達成感を味わうと、気分は良くなってしまうのです。

現在の父親は症状が進み、言葉自体の意味が解らない事も多いようで、罵倒したくても、罵る言葉が出てこないのではないかと思います。

で、2週間に1回くらい「ありがとう」とか言うので、私の方が驚いてしまうのでした。

介護における苦しみを考えてみました。その1

自宅で認知症父親を介護していて、今は不思議なことに余りキツさを感じません。

以前と比べて何が違うのか考えると、精神的なストレスが減った為だと思えます。

実際の援助にかかる手間は少し増えた程度です。

多分1番問題となるのは、自分の方の精神的な苦痛と思われますが、まず、物理的な介護の問題について考えてみます。

直接的な介護では、私は専門職であり、それに対するノウハウを持っているので余り困りませんでした。

起き上がりが大変になった時、電動ベットをレンタルし、リハビリパンツとパットも昼と夜で最適な組み合わせを見つけ、朝の着替えと食事を速やかに済ませる手順を考え、今現在の父親が動きやすいようにすると、私も必要以上の力を使わなくて済むのです。

しかし、今後自宅で入浴させなさい、と言われると、それだけで疲弊してしまうと思います。まさにデイサービス様様です。

介護している人は、いろんな情報を得ていると思いますが、「少し大変」と思いつつ毎日「仕方ない」と思ってやり続けている事も多いと思います。

ケアマネージャーは、実際に殆どの人が忙しくしてますが、少し大変な事も相談してみて、訪問の看護師、介護員、デイサービスの職員にも話してみる事をお勧めします。ダメもとです。

体調から教えられること

持続しない我慢出来る程度の痛みや、何と無くの身体の重さなどは、時々不快に感じますが、処置せずに日々をやり過ごす事が多いように思います。

私の場合は、腰痛で、10年以上前からすべり症がある事は判っていますが、鎮痛剤を飲む程ではありません。つらい時に整骨院に行く位でした。

生活習慣は偉大で、2年前に介護の為に実家に来て、仕事も変わると、いつの間にか腰痛が全く気にならない程度になっておりました。楽な時は、快適さに慣れてすっかり腰痛が治ったような気持ちでいたのですが‥

最近また、腰の痛みを感じる様になったのです。介護といっても身体的な事は着替えや、リハビリパンツの交換程度で、仕事も内容は変わりません。

変わった事といえば、犬と散歩に行かなくなった事でしょうか。

1日2回の近所は欠かさず、休日は山歩きを楽しんでいたのが、犬が体調悪くなってから、途端に私も歩かなくなりました。

犬の為に散歩していたつもりが、犬に散歩させられて、元気に過ごしていられたのだと思い知りました。

解ったのなら、歩けばいい、と言われそうですが、元々怠け者の私は1人で黙々と歩く気持ちになれず、時々腰痛いと眉間に皺を寄せております。

「期待するから、腹が立つ」くどひろさんの名言

認知症についての本やブログを読んで、共感を覚えたり、介護のアイデアを貰ったりする事があります。

自分の陥っている思考のパターンに気付くことで、少し客観的になれるように思います。

工藤広伸氏の著書の中で、「腹が立つのは期待があるから」とあり、自分の状況を言い当てられた様に感じた次第です。その本はもっと介護に悩んでいる知人にあげてしまって、手元にないのですが、その言葉は記憶に残っています。

「これ位出来るだろう」とか、「当たり前の事」と私が思っている事が前提としてあり、それに対して期待通りの反応がないと、私はイライラ腹を立てる。

腹立たしい状況は、私の中で作り上げているのです。

と解っても、その場ではやはり、怒ってしまいますが、嫌な感情を引きずることは少なくなりました。

そして、認知症の親に対するだけでなく、子供達や友人にも期待が大きければ、失望や怒りを覚えてしまうのです。

家族といえど、自分の想いの通りにはならないと、日々自分に言い聞かせております。

とてもテキトーな介護してます

昨日、3年ぶりくらいにお墓参りに行ってきました。うちの墓は元々父親の家があった所の近所なので、車で2時間くらいかかり、ちょっとサボってました。

ついでにご無沙汰しているところに挨拶などして、と思うと、夕食時間に帰り着けないかも知れず、念の為夕食を姉に出して貰うように、前もって頼んでおりました。

もちろん、チンして温めて出すだけにして準備しています。

そして、21時頃戻ってみると、父親はベットにゴロンとして、食事は準備したそのまま、出されていませんでした。

ちょっとキツそうな様子で、「もう寝る?」と聞くと、うなづくので、リハビリパンツのパットだけ交換して、電気を消しました。

お腹空いて寝れないか‥など考えましたが、1時間経たないうちにスースー寝息が聞こえてきました。いつもと同じ。

認知症の方で、食べたのに「食べてない!」と怒る場合が多いけれど、逆もあるのですね。

翌朝の朝食は少し豪華になり、言葉も優しくなるのでした。

認知症の人にとって、在宅介護がベストとは限らないと思う。

陽が落ちてから、ようやく汗をかかない空気になりました。

そろそろ、毛布や衣替えを考えないと。

自宅で介護して、仕事も介護施設だと、いろいろな方や家族の方々の話を聞きます。

私は現在、在宅介護していますが、私が無理と思ったら、親が嫌だと言っても施設へ入居して頂くつもりです。近所の施設のかかる費用も調べて、姉にも説明しています。

父親はデイサービス大好きなので、今利用中のデイへ通えるならば大きな混乱は無く、慣れると思うし、実際週に6日も通っていると、家では食べて寝るだけの感じです。

職場の利用者さんや家族の方々の中には、自宅より施設で生活した方がいいのではないか、と感じる方がおられます。

一部分しか見えないし、他人なので大きなお世話とは思います。しかし、自宅で頑張り過ぎている家族は、施設での生活がイメージ出来ないのと、施設は可哀そうという世間全体の空気がまだ根強いように感じます。施設職員による虐待事件の報道が、さらに悪いイメージに輪をかけて。

そして、国は在宅介護を推進、高齢者を地域全体で支えていこうと声は高らかですが、現在では結局家族の負担が大きくならざるを得ない状況です。

嘆くだけでは仕方ないので、本人と家族が出来る事は、ケアマネージャーにお任せではなく、できる限り自分でも調べ、実際にいろいろな所を見てみるのがいいと思います。通所でも入居でも、そこに居られる方々や、雰囲気とか匂いとか‥

何ヶ所見ても、見学はタダですから。

くよくよ悩むと介護はできない、と思う。

認知症父親相手では、怒りを前面に出さない方がスムーズに事が運ぶ、と語ったばかりで、今日は無理でしたね〜。

また、夕飯後の歯磨きで一悶着。元々野菜嫌いなので、野菜のスープは残すかな?と思いつつ出したのですが、ちょっと台所に行って戻ると、うがい水を出す為に置いてるボウルに、スープを空けてその中に器を置くという有様で‥

「なんでこんなこと!」と怒りながら歯磨きし、うがいをさせたのでした。

犬が居た頃は、その後彼女の顔を見たり、一緒に散歩に出るうちに気持ちが穏やかになったけれど、感情をなだめるのに時間がかかります。

認知症の人が見ている世界を理解しようとは思うのですが、腹が立つものはしょうがない。

自分の感情を否定する事なく、考え過ぎず、身体を動かしたり気分を変える、それで介護を続けられていると思います。犬との生活で教えられた事です。

まだまだ、修行は足りませんけども。